CHAPTER 1
(店の入り口に、大きな柳(やなぎ)の木があるという。それを目印にすればいい。カフェーで合席になった男はこう言った。行けばすぐにわかるよ。その骨董屋なら、あんたのそれを買い取ってくれるだろうさ。)
高沢: ここか・・・
(店の入り口に、大きな柳(やなぎ)の木。雨柳堂、その骨董屋は、名を「雨柳堂」といった。)
雨柳堂夢咄 「花椿の恋」
高沢: ごめんください、ごめんください!・・・誰もいないのか。
蓮: いかがですか、その朱塗(しゅぬ)りの膳(ぜん)は?李朝の物ですよ。朱塗りは王家でしか使われなかったそうです。
高沢: あっ、いや、私は・・・
蓮: それとも、こちらの屏風(びょうぶ)を見てらした?これは、「竹に雀の図」です。
高沢: 竹に、雀?
蓮: そうです。あまりに見事なので、雀が絵から飛び出してしまったそうです。去る高僧(こうそう)の手による物だそうですが、おかげで、間の抜けた絵になりました。
高沢: ご主人は?
蓮: 祖父でしたら、買い付けに出ておりまして、四五日留守にしております。僕が店番ですが。
高沢: そうか・・・それじゃ、出直しとしっ・・・
蓮: あ、お待ちください。あなたは、祖父に買ってほしい物があっていらっしゃったんでしょう?
高沢: あ。
蓮: 祖父は、目利(き)きなのと人のいいのは有名です。せっかく来ていただいたのですから、どうでしょう、あなたのその大事な絵は僕がお預かりして、必ず祖父に見せます。
高沢: おっ、おい。
蓮: 今日は、証文(しょうもん)と手付けをしますから。
高沢: 待ってくれ!
蓮: うん?
高沢: どうして絵だとわかってんだ?まだ何も・・・
蓮: あ、物の気がわかるんです。
高沢: 物の・・・気?
蓮: それだけですよ。・・・これは、美しい女性だ。花精(かせい)の絵ですね。
高沢: 花精?
蓮: 花の精ですよ。椿(つばき)だな・・・
高沢: 絵はよくわからなくて、それを作者もわからない絵ですが、父の形見で、私にとっては大切な絵です。
蓮: うん。・・・いい絵です、祖父も喜ぶでしょう。でも、手放さないほうがいいんじゃないですか?
高沢: え?
蓮: 後悔なさいませんよ。
高沢: ええ。
蓮: こんな夜中に、ゆっくり寝てもいられないね。昼間の男、あの絵を誰かの手に委(ゆだ)ねたかって言った。分けありの目だった。暗い目をした男、花精の絵、さて・・・お前、何か言いたいことがあるんだね。
花精: お許しくださいませ。あなた様ならば、わたくしの声を聞いてください、お願いです・・・お願いです、どうかわたくしをあの方の元へお戻しください!
蓮: 今日、お前を売りに来たあの男のところに?
花精: あの方は・・・死ぬつもりです。あの方は、追われていらっしゃるのです。以前、組織(そしき)を裏切ったとかで。
大須賀: なぜだ!なぜ俺たちを打った?
高沢: すまない、大須賀。だが、こんなことが間違っている!市民を巻き添えをする計画などで、世の中を変えることなんかできない!
大須賀: 黙れ!お前は志(こころざし)残らない、臆病鬼!
男の人: 大須賀!
高沢: やめろ!やめてくれ!・・・大須賀?大須賀!!
花精: その日、誤(あやま)って人が死んでしまったそうです。あの方のせいではないのに・・・(泣く)
蓮: 詳しい事情はわからないが、彼なりの覚悟があったから、お前をここに預けたのだろう?
花精: いいえ、いいえ・・・あの方は、国を捨てて終わられる身になっても、わたくしをお連れくださった・・・それで、最後までご一緒したい・・・(泣く)
(いつの頃か、彼は全てを失っても、彼女を手放すことはできないほどの恋に落ちる。彼女は彼のために、人に姿を映すほどに、見つめ合うことしかできない恋。)
蓮: 仕方がない、明日、彼のところへ連れて行こう。
花精: ありがとうございます!
蓮: かなわないね、まったく。
高沢: よく晴れたものだ。な、夢を見たよ。大須賀の弟が今日、ここに来る。そういう夢だ。多分、正夢(まさゆめ)で、覚悟は出来てる。俺はこの日が来るのを待っていたのかもしれない。ただ、心残りはお前さんのことだ。せっかく立派な骨董屋を見つけてやったというのに、俺の家に戻ってくるなんて。まったく、(笑う)困った物だよ。
(店の入り口に、大きな柳の木、「雨柳堂」か・・・)
(蓮:夕べ、この絵の美女に泣かれましてね、あなたと離れたくないそうです。泣いて訴えるものを無視できるほど、不人情ではないので。あ、お金を返す必要はありません。その代わり、あなたにもし何かがあったら、その絵はうちの店に渡すと一筆(いっぴつ)書いてください。)
高沢: 妙な青年だ。絵を返すにしても、あんな子供だましのような作り話。しかし、なぜ・・・
大須賀弟:高沢。
蓮: こんにちは。
大家: おや、あんた、おととい高沢さんを訪ねてきた・・・
蓮: そうです。
大家: いや、実はね・・・高沢さんはあの後・・・
蓮: 知っています、なくなられたんでしょう。
大家: あ。
蓮: 彼にもしものことがあれば、引き取り約束をしている物があるので、取りに来たんです。
大家: あっ、あ・・・
大家: ちょうどよかった、警察の調べが済んだ、今から部屋を片付けるところだ。まったく、とんだ人に離れを貸してたもんだよ。・・・あ、部屋は死んだ時のままだから、血の跡も・・・
蓮: かまいませんよ。
大家: それから、彼の本や何かは、警察が参考に持ってたけど、後は大して道具がなかったようだが。
蓮: 大丈夫ですよ、僕の目的の物は・・・これは、椿(つばき)の花?
大家: あ、それね、不思議なんだよ。うちの庭にもこの近所にもそんな白椿の木はないんだ。そんな枝もない、落ちた花だけ、高沢さんの周りに散ってたんだが、殺した男は持ってきたんだか?
蓮: (あ、そうか・・・その刹那、彼女は彼と一緒に撃(う)たれたのだ。)
(高沢:君は?)
(花精:あなた、一緒に参ります、わたくしのあなた様・・・)
蓮: (そうして彼は、花に抱かれていたのだ。)彼を撃った男は?
大家: あ、すぐつかまったんだよ。わしが銃声(じゅうせい)を聞いてすぐここへ来た時、逃げもせず、呆然(ぼうぜん)としていて・・・
(大須賀弟:自分は今・・・女も殺してしまった・・・)
大家: 女なんかどこにもおらんのに。やっぱり、社会運動なんかやってるやつには、妙なのがいるんだな。それより、あんたの探してる物が?
蓮: ありましたよ、この絵です。
大家: おう。
蓮: 花精の絵です。
大家: 花精って、あんたそりゃ・・・
蓮: どうも、お世話様。
蓮の祖父:ただいま。
蓮: お帰りなさい、お爺様。
蓮の祖父:悪かったな、店番させて。留守の間に、何かあったかい?
蓮: 絵を買いましたよ。
蓮の祖父:おう。
蓮: 見ますか?
蓮の祖父 どれ。何だよこりゃ、妙に下に間のある絵だね。
蓮: その絵にはね、美しい花の精がたたずんでいたんですが、好きな男と死ぬために、抜け出ちゃったんですよ。
蓮の祖父:お前、見逃(のが)したね。
蓮: お爺様だってこの間、屏風の雀を逃がしちゃったじゃないですか?
蓮の祖父:おっ、わしのは逃げられたんじゃ。
蓮: 相子(あいこ)にしといてください。
蓮の祖父:うん、仕方ない。
男の人1: 邪魔だ、退け!・・・くっそう、やつはどこだ?
男の人2: すいません、完全に見失っちまいました。
男の人1: バカやろう!探し出すぞ!
男の人2: へっ!
(店の入り口に、大きな柳の木があるという。それを目印にすればいい。十五年前、カフェーで合席になった男はこう言った。すぐに見付かるさ。縁があれば、誰だって見つけられる。あの店は、そういうところなんだから。)
久城: うん?じいさん。
蓮の祖父:え?
久城: あんた、東京で骨董屋をやってる人じゃないか?
蓮の祖父:そうだが・・・おう、あんたには覚えがあるよ!確か、女物のくしを売ってやったね、違うかい?
久城: よく覚えているな。それとも、あてずっぽうかい?もう十年、いや、十五年は前のことだぜ。
蓮の祖父:そういうあんただってわしのことを覚えてたじゃないか、ま、座んないよ。
久城: そうだな・・・何で声なんかかけたんだろう、不思議だよ、急に思い出すなんで。
蓮の祖父:わしゃ、骨董屋だからな。昔のにおいを背負っているのさ、会うだけで何かしら懐かしい気持ちになる人間もいるよ。
久城: 店は今でも?
蓮の祖父:うん、あそこであのままやってるよ。今から北陸のほうに買い付けに行くんだが、この頃は、孫が留守番をしてくれるんで助かってるよ。
久城: 店の名前は、何だったかな。
蓮の祖父:雨柳堂だよ。
