雨柳堂夢咄 「宵待ちの客」
蓮: お客様。お客様?
紗也子: えっ?
蓮: もう店を閉める時間なんですが。
紗也子: あ、私・・・ごめんなさい、ぼっとしていて。
蓮: またどうぞ。・・・古い着物を見つめる宵の客、か。やっぱりかな、まったく、お爺様のいない時に限ってこうだ。
紗也子: 私ったら、声をかけられるまで気が付かないなんて、きっとあの人、変に思ったわね。速く帰らなくちゃ、もうこんな時間・・・私、どこに帰るの?どこから来たの?ここは・・・わからない、わからないわ!何も・・・
老人: 何だ、留守なのか。
蓮: あいにく。
老人: 見てもらいたい皿があって、持ってきたんだけどね。
蓮: よろしければ、お預かりしますよ。二日ほどしたら戻りますから、きっと、ご隠居様のお気に召すような物も、仕入れてきますよ。
老人: え、そうかい?わしは今、古九谷に凝っている。
蓮: この間まで、唐三彩じゃなかったですか。
老人: だって、この間買った壺は偽者だったんだもの!やっぱり、ここで見てもらえばよかったよ。
蓮: ご隠居様は本当にいい物をたくさん持っておいでですが、まさか、みんな納戸に仕舞いっぱなしじゃありませんよね。
老人: えっ?
蓮: 「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心をたぶらかす」って、言いますよね。かまってやらないと、化けますよ。
老人: あ、だっ、だめだよ!そんな怖いことを言っちゃ。
蓮: 物にも気持ちがこもるんですから、たまには、日の目を見せてやってくださいね。
老人: はいはい。
蓮: もう暗いですから、どうぞお気をつけて。
老人: おや、もう店仕舞いかい?宵の口だよ。
蓮: 祖父がいない間は、早仕舞いよ。
老人: わしが最後の客か。長居して悪かったね、また来るよ。
蓮: お待ちしてます。
紗也子: ごめんなさい、もう店閉めるのね。
蓮: いいんだよ、帰らなくても。今日も来ると思っていたんだ。
紗也子: 私、私、何もわからないの、どうやってここに来たのかもわからない。気が付くと、ここにいるの。
蓮: 昨日も今日も、その着物の前に立っていたね。
紗也子: この鈴の音、聞いたことがあるの。
蓮: これは、ある家族のお嬢様の晴れ着だったものだ。三つ重ねで仕立てた、上等の友禅だけど。これは、君の着物だね。おとといこれを店に出したのだけど、きっと、とても好きな着物だったんだね。
紗也子: ええ、そう・・・とても大切な着物だったわ。一番好きな晴れ着だったの。
蓮: 誰に会いたかったの?誰かに会いたかったんじゃない?とても・・・
紗也子: 竜衛・・・私、竜衛に会いたかったの。
蓮: 竜衛?
紗也子: 竜衛と一緒にいたかったの、ずっと一緒にいると約束したのよ。私、竜衛が好きだったの。とても、好きだったの・・・
紗也子: 竜衛!竜衛!竜衛!竜衛!
竜衛: うん?
紗也子: 竜衛、やっぱりここにいた。
竜衛: お嬢様。
紗也子: 何を隠したの?
竜衛: あ。
紗也子: 知っていてよ、また本を読んでいたのね。
竜衛: 誰にも言わないでください、また叱られてしまう。
紗也子: どうして?本を読むのはいいことだわ。
竜衛: 使用人は、勉強などする必要はないんですよ。
紗也子: 大丈夫、誰も叱りゃしないわ。 いいわ、誰にも言わないから、一緒に来て、今から麹町のおば様のところへ行くの!
竜衛: でも、俺は仕事が・・・
紗也子: 源吉にお前を連れて行くって言ってしまったわ。さ、速く速く!
竜衛: 源吉さんが何も言ってませんでしたか。
紗也子: 何を言うもんですか?私でいいと言ってるんだもん。
竜衛: お嬢様!
紗也子: もう、あんまりぐずぐず言うと、本のことみんなに言ってしまうわよ!(笑う)
(竜衛は、うちで働いているお時の遠縁で、ほかに身寄りがないので、うちで下働きをしていたの。小さい頃からうちにいて、私の遊び相手でもあったけど。でも、私が竜衛を好きなのは、それだからだけではないわ。彼を見れば、彼がどんな人間か、誰でもわかる。私が彼を好きなのもわかるはずだわ。そう思ったのに・・・)
母親: あなたももう十六でしょう?使用人となれなれしい口調聞くのはおやめなさい。もう子供ではないのですから、わかりましたね!
紗也子: お母様?
母親: あなたがそんなでは竜衛も困ってますよ。彼には彼の仕事があるのですから。
紗也子: でも、お母様!
母親: 来月から、作法の時間を増やしましょうから・・・
(私が彼を好きなのもわかる。そう思ったのに・・・)
お時: お嬢様、竜衛にやさしくしてくださるのはうれしいのですが、あまり過ぎますと、お時が奥様に叱られます・・・
(どうしてみみんながあんな風に言うのか、わからなかった。)
源吉: 何するんだ!何だ、その目は?竜衛、貴様というやつは!
紗也子: やめて!やめて、源吉!何をしているの?
源吉: お嬢様、こいつ仕事もせずに本なんと読んでサボってたんだ。かまうことありません!しかもこの頃じゃ、妙な連中と付き合っているようだが、油断がならねぇ。お嬢様ももうお年頃だ、こんなやつにはかまわないほうがいい。
紗也子: 竜衛・・・竜衛?あっ!
竜衛: 俺が悪かったんですから。
(どうして・・・どうして?)
紗也子: 竜衛、竜衛、竜衛?あの桜の枝を取ってほしいの。
竜衛: はい。これですね。
紗也子: ええ。竜衛?竜衛は・・・私のことを好き?
竜衛: お嬢・・・
紗也子: 紗也子は、竜衛が好きよ、ずっと、ずっと好きよ。竜衛は・・・竜衛は?
竜衛: お嬢様、好きです。
紗也子: 本当?
竜衛: 本当です。
紗也子: 本当ね、竜衛、私が好きなの。じゃ、約束して、ずっと私のそばにいるって、私も約束するから。
竜衛: お嬢様・・・
紗也子: 誰?
竜衛: お嬢様、俺です。
紗也子: 竜衛?どうしたの?その顔・・・お父様ね、さっきお父様に呼ばれていたもの。酷い、血が・・・入ってきて、そんなところにいたら・・・
竜衛: いいんです、お嬢様の顔が見たかっただけだから。
紗也子: お父様に・・・何か言われたの?
竜衛: いいえ・・・
(父親:竜衛、なぜ打たれたか、わかっているな。もう紗也子に近付くな。お前はなかなか、見所があるやつだと思っている。お前がその気なら勉強させてやるし、そのうちわしの事業のほうで、使ってやろうとも思う。しかし、忘れるな、世の中には仕組みがある、身分というものがあるのだ。それを忘れるな。)
竜衛: この家を出ます。
紗也子: 竜衛・・・
竜衛: ここにいたら、一生誰かの下にいなくてはならない、自分の手でつかめるものもつかめない!
紗也子: どこに行くの?
竜衛: 上海に。以前から誘われていたんです、知り合いの貿易商。これ。
紗也子: くし?きれい・・・本物の珊瑚だわ。
竜衛: 骨董屋で見つけたんです。俺が買えるようなものじゃなかったけど、、そこのおやじが持っているだけの額でいいって。おまえさんがあげたい人に、一番似合うのがわかるからって。
紗也子: 竜衛・・・戻ってきて、必ず戻ってくるわね。だって、約束したじゃない?
竜衛: お嬢様に会っても恥ずかしくないようになったら、必ず。
紗也子: じゃ、その時、まだ紗也子のことが好きだったら・・・紗也子をお嫁にして、私はは竜衛以外の人と結婚するのはいや。ずっと待っているわ。
(待っているから、待っているのは、辛くなかったの。竜衛は約束してくれたから、約束・・・してくれたから・・・なのに、なのに・・・
父親: 竜衛は死んだ、本当だ・・・船が遭難したんだよ、全員死んだそうだ。
母親: 紗也子さん、お母様の言うこと・・・そのままで死んでしまうよ。
お時: お嬢様、あの子は罰が当たったんですよ・・・
源吉: まったく、悪い仲間・・・
紗也子: (うそ・・・うそ・・・うそ!)
(竜衛:お嬢様に会っても恥ずかしくないようになったら、必ず。)
紗也子: (約束したじゃないの、竜衛、必ず戻ってくるって・・・私は、待っているのに・・・そうか!私が竜衛のところに行けばいい・・・この川、竜衛の死んだ海に続いているのでしょう・・・竜衛!)
蓮: そうして?
紗也子: そうして私・・・死んだのね。
蓮: 思い出したね、みんな。
紗也子: ええ・・・
蓮: 彼には会えた?
紗也子: いいえ、会えなかったわ。竜衛には会えなかった・・・
蓮: じゃ、彼が死んだというのは、うそだったんだね。
紗也子: あ、そうだったの?それじゃ、竜衛は生きているの?
蓮: きっとね、でもすぐに会えるよ。人間どれだけ長く生きても、大したことはない。だから、すぐに会える。君はもう行ったほうがいい、どこへ行けばいいか、わかるね。
紗也子: ええ・・・ええ、わかるわ。そこで待っていればいいのね。
蓮: そう。
紗也子: この着物、もう着られないのね。
蓮: うん?
紗也子: 竜衛が迎えに来てくれたら、うちを出る時、これだけは持っていこうと決めていたの。お嫁にしてもらう時に、これを着るのよ、ずっとそう思っていたの・・・
蓮: それじゃ、この着物は君に返そう。
紗也子: 本当?
蓮: 君を呼んだ着物だもんね。
紗也子: うれしい!ありがとう、うれしいわ・・・今わかった、このくしも、このお店のものなんだもん。
蓮: どうだろう?あいにく、祖父が留守でね。
紗也子: お爺様に、ありがとうと・・・もう行くわ。
(紗也子:ありがとう・・・)
蓮: 十年だか二十年だか前に、ご令嬢が死んでからしまい込まれたままだった着物が、やっと出てこられたと思えば、これだもの。姿が見えて、声を聞けるっていうのも、考え物だな。さて、この着物が売れなくなったの、お爺様に何って言おう?元の持ち主に返す約束をしてしまったなんて言ったら、怒られるかしら。やっぱり・・・懲(こ)りて、僕に店番をさせなくなるかもしれないな。宵の客だから、しょうがない。
老人: え、また留守かい?
蓮: どうしてご隠居様は、いつもお爺様が留守の時に来るんですか?
老人: うーむ。
蓮: すみませんね、僕に留守番させるようになってから、出てばっかりで。
老人: それじゃ、今度・・・
男の人3: うわぁ!何だここは、辛気臭い店だな。
男の人1: ちょっと聞きたいんだが、さっき男がこの店に入ってこなかったか?
蓮: いいえ、お客様はこのご隠居様だけですけど。
男の人1: おい、本当に久城のやつはここに入ったのか?
男の人3: 無用な気がしたんですが。
蓮: 奥もご覧になりますか?
男の人1: いないらしいな、邪魔したな。
老人: 何なんだ、あいつらは?
蓮: 宵口には妙な客が来るものですよ。こんな日は、早仕舞いに限ります。
老人: となると、今日もまたわしが最後の客かい?
蓮: さ、どうでしょうね。
蓮: 入り口は粉々だなんて、お爺様が見たら腰を抜かすな、着物の件もあるしで。まったく、気が重い。
久城: もう店仕舞いか?
蓮: うん?
久城: ちょっと入れちゃもらえないか?ご覧のとおりに傷でね、今動きたくないんだ。
蓮: 医者を呼びますか?
久城: 要らない、大した傷じゃないんだ。
蓮: じゃ、僕の手当てで我慢してもらわなくちゃ。
久城: あんた、ここのじいさんの孫(まご)か?
蓮: そうです。
久城: じいさんもそうだけど変わってるな、驚かないね。
蓮: 驚いてますよっ・・・はい、おしまいです。祖父のお知り合い?
久城: まあ、ちょっとね。この間駅で、ここのじいさんに会ったものだから、里心がついて一人でこの辺をうろついていたのがいけなかったな。油断したよ。
蓮: 人相の悪い連中に狙われるようなこと知ってるんですか?
久城: ま、富家食われるかってね。そういうやり方で、金や事業を手に入れてきた、それなり顔もきくっ・・・迷惑をかけたな。明日また上海に戻るんだが、今度来た時に改めて礼をするよ、生きていたらだけとね。これは名刺だ、表向きのね。
蓮: 久城さん、昔、好きだった人いたでしょう?
久城: 何だい、野暮なこと聞くねぇ。
蓮: そうじゃなくて、年は十六七の家族のお嬢様で、きれいな目をした娘でしたよ。珊瑚細工のくしを大切そうに持っていました。好きな男にもらったんだそうです。
久城: 会ったように言うじゃないか?
蓮: 会ったんです、もっとも彼女は、もうずいぶん前になくなったんでしたけど。
久城: そうだな・・・
(紗也子:竜衛!)
久城: そんなこともあったよ、ずっと昔に。
(紗也子:竜衛、あの枝を取ってほしいよ。)
久城: ずっと昔に・・・
(紗也子:待っているから・・・きっとよ・・・)
久城: しかし、(笑う)骨董屋っていうのは、古い物だけじゃなくて、人の昔まで置いているものなのか?
蓮: ま、極稀に。またこちらへ来た時には、ぜひお寄りください。
蓮: 手紙を掛け軸にしたものですか?
女: 私の夫が、大徳寺の照海禅師に当てて書いた手紙です。禅師様は、その手紙を掛け軸にしたと聞き、探しております。
蓮: 大徳寺の僧侶は、代々茶道と縁が深いですから、書とか画は多いんですけど。手紙の内容は?
女: 禅師様の月見の茶会に招いていただいたお礼です。明日は夫の三回忌、ちょうど十五夜なので、供養に月見の茶会をするつもりですが、その掛け軸をぜひ飾りたいと思いまして。
蓮: 書状の掛け軸が数点あったと思いますが、祖父がいないので、今わかりません。倉のほうを探してみないと、それがうちにあるかどうかわかりませんが、明日また来ていただきますか?
女: 大丈夫ですわ。あなた様なら見つけてくださいます、ここに来て安心いたしました。間に合って、ようございました。
雨柳堂夢咄 「十四夜の月に」
蓮: よいっしょっと、あ、どれ・・・あ、どうもしっくり来ないな。冬でもないのに、御高祖頭巾もかぶった女の客。高名な僧侶と行き来のあったほどの人物だ。その人の奥さんが、あの若い女の人だというのも何だか・・・うん?照海禅師というのは、いったいいつの時代の人だろう?これはもしかすると・・・あれ、この箱は?どこかで見た覚えが・・・あっ、この落款は?狐(きつね)の落款、か。それ!探しの物はここに!
(女:間に合って、ようございました。)
蓮: 白銀の狐・・・昔、お爺様が狐の書いた手紙の掛け軸だと言っていたのを信じなかったけど、本当だったんだな。しかし、手紙を書いたり、茶会をやったり、風流な狐だな。千年狐ってやつかしら?・・・うん?李朝の白磁の茶碗だ!すごい・・・(笑う)あの掛け軸の代金だな。さて、朝までにこの茶碗が葉っぱに化けなければ、お爺様は喜ぶだろう、ほしがっていたからな。
三雲: それではあなた様は、私の人形を作りたいとお意なんすのか?
皇月: そうです。当代の吉原一とうたわれた、三雲太夫の姿を、ぜひ。
三雲: 当代一とうたわれているのは、あなた様のほうではありんしょう?人形師皇月様の評判は、前から聞いておりんす。その方に見込まれるとは、誉れなことでありんす。
皇月: それでは、承知か?
三雲: 私が何をするのか、お聞かせくださってからでありんす。
皇月: 見せてくれればよい、そなたを。
三雲: 見せるだけでありんすか?触れもせずに?
皇月: それで十分だ。
三雲: ようありんす。七日の間、私のところへ通っておくんなまし、お心のままにお見せしんす。ただし、その七日の間、あなた様が私に指一本でも触れなんしたら、一日でも来られないことがありんしたら、人形になるのはいやでおざんす。
皇月: 承知した。
蓮: この話はここまでです。この先は、どうなったのかわかりません。
