雨柳堂夢咄 「花に暮れる」
蓮: 人形師皇月の後ろ盾は、島津屋金衛門、稲木候というお殿様とつながりのある大商人でした。このお殿様が、実は以前、お忍びで登楼して、三雲というおいらんに手ひどく振られている。
皇月: いろいろと複雑な事情があったのですな。
蓮: 皇月の依頼が、この背景を受けた、何かの策略の一環だったのか?あるいは、人形師としての純粋な思いからだったのか?三雲はそうしたらあれこれを全て承知した上で、皇月の頼みを聞き入れました。おいらんの意地と誇りがあったんですね。
皇月: で、人形は出来ませ何だかな。
蓮: さ、出来上がったのか、作らなかったのか、はっきり知っていないんです。七日の目に、その人形師が落ちたとか、出来上がった人形をおいらんが火に投げ入れたとか、果ては二人で心中したとか、どれも後から付け足した話です。江戸も最後の頃でもう何十年も前のことですから、本当のところはわかりません。当の人形師の行方もこの後知れなくなっています。彼は武家の出だったので、武士を捨てきれず、彰義隊に入って、上野で戦死したといわれてますが。
皇月: それで、お前様の今日のご用件は?
蓮: はい。
皇月: これは・・・
蓮: うしがお客様からお預かりしたもので、今話した件の人形ではないかといわれるんですが、本物かどうか、決め手はありません。不思議なことに、この人形には目が描いてありません。ほかは完璧に仕上げてあるのに。技巧は並ではないてきです。でも、人物画や人形の場合、真贋の区別は、落款や技巧より目だといわれます。その肝心の目がないのです。
皇月: まるでわざと仕上げなかったように見え。
蓮: でしょう。この人形の目を、入れていただきたいんです。持ち主の方から頼まれたので・・・
皇月: わしは少々人形の修繕を受けおっとるだけの年上だ。雨柳堂さんにはお世話になっているが、こんな仕事は、ほかにいくらでも腕のいい人形師はおるだろう。
蓮: あなたでなければ困ります。
皇月: なぜ?
蓮: さ、僕は祖父に言われて使いに来ただけですから。とにかく、この人形は置いていきます。できなければ、このまま返してくださってかまいません。・・・それでは、失礼します。
皇月: あ。
蓮: また来ます。
皇月: あ。
蓮: (あの人形が目を開ければ、語ってくれるだろう?僕が語り終えなかった、昔の話を・・・)
皇月: 昔傷を負ったこの手は、だんだん鈍くなるようだ。片方残った目も弱る一方だ。これが最後と思うって、わしのところへ来たか?まさかこの年になって、あの時入れなかった目を、こうして・・・三雲・・・
三雲: あなた様・・・
皇月: うん?
三雲: 皇月様・・・
皇月: この声は・・・三雲!お前なのか?
三雲: 皇月様。
皇月: 目を得て、人形が魂を得たか?
三雲: なぜおいでせいした?七日目の夜、なぜ・・・
皇月: なぜ?七日目に私が行けなかったわけは、お前が知っているだろう、三雲。なぜ私がこの左の目をなくし、腕に傷を負ったか、お前が知っているはずだ。あん晩、最後の晩、私は行ったのだ・・・
男の人1: やったぞ!
皇月: 腕が・・・私の腕がっ!
男の人2: かわいそうに、目と腕がそんなになっちまったんじゃ!もう人形師は廃業だな!
皇月: なぜだ、なぜこんなことを?私が何をしたと言うのだ!
男の人1: うるせぇ!ちきしょう、放しなれ!
皇月: お前、確か松の屋の三雲太夫のところの・・・
男の人1: くっそう、まずい!
男の人2: バカ、速く!行くぞ!
皇月: 三雲・・・なぜ?そなたほどの太夫が、なぜこのようなことを・・・
皇月: あの時はただ、失望した。
三雲: 私のかむろと新造がさせたことであり。
皇月: そなたがさせたことではなかったのか?
三雲: いいえ、知っていて止めんせんした。同じことでありんす、私の苦しみを見かねてしたことでおざんすよ。私は、かむろの鈴音に、苦しいなど打ち明けなければ・・・
皇月: 苦しみ?
三雲: 私は、あなた様に見られるのが、1日毎に苦しゅうなりんした・・・
三雲: さ、どのような姿で?帯を取りんしょうか?
皇月: いつものとおりでよい、そなたのあるがまま。
三雲: 初めは島津屋や稲木候への意地で、どうとでもあしらうつもりでおりんしたわ。いいえ、七日もあれば必ず落ちると思いんした。でも・・・あなた様の目が、おいらんの意地と誇りなどどこぞへやっておしまいになりんした。
(三雲:あのお方の目にお前はどう映っていると思う?その作られた美しさの奥に何が見えると思う?しょせいお前は金で買われる女ではないか?)
三雲: 急に恐ろしゅうなりんした。出来上がった人形を、おのれで見るのが、とても恐ろしゅうなりんした・・・
皇月: 美しいままであったようだ。その美しさは本当であると思ったから、そなたを作ったんだ。
三雲: 皇月様・・・
皇月: ただ、私は、七日通うという約束を果たせなかった、いや、心の中では、そなたに触れぬという約束も守ることはできなかった。だから、目も入れぬまま。
三雲: うれしゅうありんす・・・
皇月: 三雲、その短刀は?
三雲: この身を、人形の体をお作りになったのが、あなた様のお心なら、これが・・・私の心でありんす!
皇月: いったい何!
三雲: 手練ではありんす。生涯かけても、誠の心でありんす・・・
皇月: 三雲!三雲!!・・・夢か・・・
蓮: いらっしゃいませ。
お婆さん: こんにちは。
蓮: あ、ご隠居様、どうぞ奥に・・・わざわざ来ていただいて、お届けするつもりだったんですが。
お婆さん: いいえ、このお店の中を見るのが好きなのですから、楽しみを取ってはいけませんよ。で、人形は?
蓮: 仕上がっています。どうぞご覧になってください。・・・その太夫は、ご自分でしょう?
お婆さん: ま、(笑う)こんなおばあさんを、どうして・・・
蓮: 見ればわかりますよ。違いますか?
お婆さん: でも、この人形は・・・
蓮: 本物ですよ、皇月が三雲太夫を作ったものです。だからこれは、ご隠居様でしょう?
お婆さん:蓮さんにはかないませんね。何十年も昔に受けだされて、あの世界のことはすっかり忘れてしまったつもりでしたのに。先日、これを見つけました時、昨日のことのように思い出されました。苦しかった気持ちまで鮮やかに・・・でも、今はこうして見ていても気持ちは穏やかです。目を入れていただいたせいでしょう。おっ・・・
蓮: どうしました?
お婆さん: 人形の、左の小指がありません・・・この間は確かにあったのに・・・
蓮: 昔おいらんは、相手に真情を示すために、指を切って渡したと聞きますけど、この人形もきっとそうしたのではありませんか?ご隠居様も昔、それほど思った人がいらしたのでしょう?
お婆さん: 私は、私は・・・愚かでございましたから、その方がいなくなってから、自分の本当の気持ちに気がつきました。あれは、恋であっただ・・・
皇月: あかなまねを、大事な指をするような!
三雲: 恋であっただ・・・あの苦しみは、恋のためであっただ・・・
お婆さん: あの苦しみは、恋のためであっただ。そうして、その方のために指を落としました。昔のことでございます。
蓮: ご隠居様、これを。
お婆さん: これは?
蓮: この人形に目を入れてくださった、人形師の住まいが書いてあります。訪ねてみたら、いかがですか?ご隠居様と同じ時代の方ですから、江戸の昔話もできます。きっと懐かしいですよ。
お婆さん: 蓮さん?まさか・・・(泣く)
蓮: はい。
店の入り口に、大きな柳の木があるという。
行けばすぐにわかる。
雨柳堂という骨董屋。
そこなら、あなたの探しているものがあるかもしれない。
蓮: あれ?・・・指のない太夫、お前、置いていかれたね。ちょうどいい、しばらくうちで休んでおいで。
